社会的治癒に該当するのか

2 前記認定された事実に基づき、本件の問題点を検討し、判断する。
(1) 社会保険の運用上、過去の傷病が治癒したのち再び悪化した場合は、再発として過去の傷病とは別傷病とし、治癒が認められない場合は、継続して過去の傷病と同一傷病として取り扱われるが、医学的に治癒していないと認められる場合であっても、社会的治癒と目される状況が存したと認められる場合は、再発として取り扱われるものとされている。
(2) 本件の場合、請求人の当該傷病の発病・初診日は昭和46年2月2日であり、当時、請求人が厚生年金保険の被保険者でなかったことは明らかである。しかし、請求人及び代理人は、昭和55年3月から昭和62年3月までの7年のあいだ寛解し、症状を認められずして社会的に治癒し、平常に就労しているのであるから、請求人の再発初診日は、診断書のように厚生年金保険被保険者で支給要件を満たしている昭和62年3月25日であると主張しており、また、F医師も、昭和55年11月から61年9月までの間は、服薬はしていたが、就労もしており、社会的治癒と言えるのではないかとの意見を述べているので、この間に社会保険運用上のいわゆる社会的治癒に相当する期間があり、再発と認められるかどうかを検討する。
ア 請求人は、昭和55年3月に退院した後も引き続き通院治療をうけており、昭和57年12月頃までは、ほぼ月2回、昭和58年は月1回から2回となり、同年10月からは月1回となり、59年からは更に受診回数が減り、61年10月からは受診せず、62年当初より、不眠、硬い表情、過度の疲労、家族への敵意等を示し、同年3月入院加療となっている。
イ 抗精神病薬は、当初は高用量が処方され、昭和56年3月頃から減量され、ほぼ維持量程度となり、58年10月からは受診回数が減り、計算上は処方量のおよそ半分の服用量となり、58年12月からは通院間隔そのものが開き、服用量は更に少量となっているものと推認される。
ウ 日常生活、仕事、体調については、昭和55年3月の退院後は、家にいて家事をこなす程度であったが、カルテの記載によれば、昭和55年12月からスーパーマーケットでパートの仕事を始め、翌年の6月頃から疲れを訴えるようになり、昭和57年4月頃には、職場で「仕事を早くする様に」と言われて、悩んだこともあり、その後も家の掃除でも疲れ、仕事もきつく、疲れたと言っている。同年12月に前より楽なレジの仕事に変わり、元気にパートを続けていたが、昭和58年7月頃疲れて寝込んだ日もあり、休日は何もしないで寝ている状況であったことから、体調は十分ではなかった状態にあったものと窺える。しかし、同年11月頃には良くなり、薬を2、3日飲まない程であったが、飲んだ方が調子は良く、体調も良く、その後は受診頻度は少なくなったが、体調良く、特に変化もなく推移し、61年9月末時点でも、レジの仕事は従前通りやっていたものと思われる。
 なお、昭和61年10月以降63年3月までの期間については、請求人に係る状態像、日常生活、仕事の状況等に関する客観的な資料の提出がないので社会的治癒の有無について検討、判断することは困難である。
エ 以上にみたところによると、請求人の受診頻度、治療内容、日常生活状況、仕事の状況、体調等から、請求人は、昭和58年10月頃までは寛解状態にあったものとは認め難く、それ以降昭和61年9月末までの期間については、状態像としては凡そ寛解に近い状態にあったものと認められるものの、その期間が十分でないこと、勤務状態が判然としない点などから、本件の場合、社会的治癒に相当する期間があったと認めることは困難である。